石州流盆石について
「盆石ー平安時代からつづく技と美」より
(2022年3月5日〜2022年4月8日
東京都世田谷区桜「平成記念美術館ギャラリー」にて)
いにしえの日本では、身近にある石を遠くの神々が宿る存在として崇めることがありました。
石を抽象化する思いや関心とともに、人々は石との距離を縮め、石に親しむ日常を育みました。
石は、人々の暮らしを始める儀式であるとともに、人々がにぎわい、栄えるきっかけでもありました。
盆石の歴史は、人々と石との多様な関係の歴史の中に息づいたと考えることができます。
このような歴史を辿り、平安時代を経て室町時代を迎え、千利休が築いた文化において盆石は、
書院造りの空間の一部として組み込まれ、その空間の立体感を醸し出す価値が認められました。
石州流盆石は、江戸時代四代将軍徳川家綱の茶道指南役をつとめた
片桐貞昌(宗関・石州)(1605~1673)が流祖です。
時は、徳川幕府の安定期に入る時期です。武断政治から文治政治に入り、
江戸の武家文化の基盤が整備される時代が石州流盆石発展の背景にあります。
千利休へ帰ることを尊んだ片桐貞昌(宗関・石州)は、江戸武家文化として、
品格を備えた「侘び」と「美」を求め、茶道、華道、そして盆石から構成される空間を目指しました。
「侘び」の深さと重厚さの演出を支える「添え」としての、
いわば空間のインテリアとしての効用を
石州流盆石は追求します。
石州流盆石では、心の趣から、さまざまな風景と季節と時刻を打ちます。
なかでも、真・行・草それぞれのアプローチから
水の「流れ」と「波」を極めることが大切な目標とされてきました。
石州流の茶道、華道、盆石は、片桐信方(宗猿)(1774~1864)以降、分立し、
それぞれ専門性を高めることとなりましたが、今でも、節目には一同、会する機会を持ち続けております。
今後も、片桐貞昌(宗関・石州)を源とする「技」と「美」の精神を継承しつつ、
石州流盆石が盆石文化のさらなる発展に貢献できますよう努めてまいります。